薩埵正邦、金丸鉄、伊藤修と法政大学

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薩埵正邦、金丸鉄、伊藤修と法政大学

「自由と進歩」の学風

大学改革のルーツは100年以上前にあった

徳川時代が終焉を告げ、明治政府が近代的国民国家体制を築き始めたのは、今から1世紀以上前の話である。欧米先進国と肩を並べるべく、新政府による近代化政策が急速に進められるなか、民間教育でも新たな産声があがる。

薩埵正邦、金丸鉄、伊藤修と法政大学

左から 伊藤 修/金丸 鉄/薩埵 正邦

1880(明治13)年4月、東京駿河台に東京法学社という法律事務所を兼ねた法律学習塾が生まれた。金丸鉄、伊藤修(ともに豊後国〔現・大分県〕杵築藩士)、薩埵正邦ら無名の青年同志が、法律学研究を目的に設立したわが国最初期の本格的な私立法律学校の一つである。

時あたかも、西南戦争の余波が消えず、国会開設請願運動、自由民権運動が高揚し、法治国家としての体制整備が急がれている折であった。これが、本学の前身である。

同塾の法学教育は、入学希望者が殺到するほどの順調な滑り出しをみせた。昼学に加え、夜学、予科を増設し、社会的需要の高まりに応えた形で発展していく。

翌年5月には、東京法学社講法局(法律学習塾)が分離・独立し、東京法学校へと改称する。薩埵正邦が、実質的な経営者となり、アぺール博士、ボアソナード博士を招聘し、フランス法系法律専門学校として体制を整えていった。

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ボアソナード博士

草創期を支えるボアソナード博士と梅博士

東京法学社設立に関わった青年たちは、いずれも何らかの形でボアソナード博士の薫陶を受けたと言われる。博士はもともと明治政府の懇請により、法律顧問として1873(明治6)年に来日、司法省法学校の教授を務める傍ら、数々の献策、治罪法、刑法の編纂や民法典の起草などの大事業に尽力、近代日本の法秩序整備に寄与した歴史上の人物である。

その博士が、愛弟子である薩埵の東京法学校に肩入れし、無報酬にもかかわらず自らフランス法の講義を行った。主として、起草中の民法草案をもとにフランス語で授業が行われ、弟子達が通訳したという。

その根底にあったものが、国民の権利意識の普及であり、そのための教育者の育成に情熱を注いだ1883(明治16)年には、同校の教頭に就任し、ここに名実ともに「ボアソナードの東京法学校」として地歩を固める。

特に、博士のフランス自然法的な理念は、本学の『自由と進歩』という学風の基盤となったことを考えると、その功績は計り知れない。こうした功績を讃え、市ケ谷キャンパスに竣工した新棟は「ボアソナード・タワー」と冠された。

博士が起草した民法典は、大きな法典論争にまで発展したが、結局、断行派の敗北に終わり、施行延期の憂き目をみることになる。その法典修正を受け継いだのが梅謙次郎博士であった。

のちに「民法の父」と称される博士は、少年時代から学才に恵まれ司法省法学校を首席で卒業後、リヨン大学に留学、リヨン大学での博士論文「和解論」では、最優秀の成績を修め、1890(明治23)年に帰国。そのまま和仏法律学校(東京法学校と東京仏学校の合併)の教壇に立ち、校長、総理を歴任するなど20年余りにわたって同校の発展に尽くす。

当時は、法律学教育の退潮、特にフランス法系学校の不振の時期にあったが、一般事務の整理、学科再編、教員採用、さらには校友会の充実などさまざまな改革を断行し、実を結んでいく。多数の公職を務めながら、寸暇を惜しんでの活躍ぶりだったという。

ボアソナード博士が、本学の「建学の祖」の一人だとしたら、梅博士もその一人であると同時に、「改革の祖」と言えるだろう。その後、本学は、1903(明治36)年に専門学校令により和仏法律学校法政大学に、1920(大正9)年の大学令で法政大学となり、晴れて大学として認可された。

薩埵正邦、金丸鉄、伊藤修と法政大学

梅 謙次郎

名実ともに総合大学へ

21世紀を迎え、社会はより多様化し知的高度化を求める時代になった。その中にあって、さらなる発展を期している大河の源流は、その昔神田駿河台から流れ出した小さな渓流にこそある。

その流れは、万象を汲み取り、人を育て、今日では、市ケ谷、多摩、小金井の3キャンパスに15学部15大学院研究科2専門職大学院を擁する総合大学へと成長を遂げた。これは、『自由と進歩』の学風、先進的な役割を担うアカデミズムとパイオニア精神『進取の気象』の形成、そのための「改革」の所産といえる。

法政大学では、総合大学ならではの特性を生かした広汎にわたる取り組みを推進することにより、教育・研究の質的向上を図れるものと考えている。

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総長 田中優子

まだまだ改革は続く

ボアソナード博士をして、「私立学校中、尤も親愛するは東京法学校」と言わしめた本学の改革は、まだまだ続く。

2008(平成20)年、GIS(グローバル教養学部)を開設。同年、従来の工学部を理工学部・生命科学部に改組したほか、2009(平成21 )年に、スポーツ健康学部を開設、2010(平成22)年に現代福祉学部現代福祉学科を福祉コミュニティ学科・臨床心理学科の2学科体制にするなど、新しい時代に対応した学部学科体制を図っている。

2011(平成23)年には、理工学部に創生科学科を開設。そして、2014(平成26)年に生命科学部に応用植物科学科を開設した。

2011(平成23)年より、公務員や法曹を目指す学生への支援をより強化するため「公務人材育成センター」を設置し、「公務員講座」を開講している。1年次から本格的に公務員試験対策に取り組むことができ、専門学校と同等の講座内容を低価格で受講できる。また、法政大学出身の現役公務員と交流する機会や、受講生同士が切磋琢磨できる充実した環境を整えている。

グローバル化も進む。文部科学省「スーパーグローバル大学創成支援(グローバル化牽引型)」に採択され、大学改革と国際化を推進している。

このプログラムは主として、英語強化プログラム(ERP)による英語イマージョン教育、国際ボランティア、インターンシップ・プログラム、英語のみで授業が行われる交換留学生受け入れプログラム(ESOP)やGIS(グローバル教養学部)の多彩な教養・専門科目など、さまざまなグローバル人材育成プログラムを提供することにより、国際舞台で活躍できる自立的・人間力豊かなグローバルリーダーの育成を目指すものだ。また、外国人留学生数を増やし、学内グローバル化の実現も目指している。

入試に関しては、全国10都市(東京・札幌・仙台・新潟・金沢・長野・名古屋・大阪・広島・福岡)でT日程(統一日程)入試および英語外部試験利用入試を実施し、A方式(個別日程)入試では全国6都市(東京・札幌・仙台・名古屋・大阪・福岡)で実施しているほか、「大学入試センター試験」利用入試B方式(3~5科目型)・C方式(5教科6科目型)を実施することで、全国から多彩な人材を求めている。

2016年(平成28年)、法政大学は従来の「自由と進歩」を「自由を生き抜く実践知」と表現した大学憲章を制定し、社会への約束とした。校歌にある「よき師、よき友、つどひ結べり」に重きを置きながら、時代を先取りした不断の改革を推進していく。