日本女子大学 時代とともに進化する女子教育のパイオニア

PR
日本女子大学 時代とともに進化する女子教育のパイオニア

生涯にわたる教育を通して、女性の「生きる」力を支える。

~2021年、創立120周年を期して、目白キャンパスに4学部15学科を統合~

日本女子大学 時代とともに進化する女子教育のパイオニア

創立者 成瀬仁蔵

日本女子大学は1901(明治34)年、成瀬仁蔵によって目白の地に創設された。日本の女子教育のパイオニアである成瀬は1858(安政5)年、現在の山口県山口市吉敷の士族の家に生まれ、同郷の沢山保羅の影響によりキリスト教に入信。牧師として奈良や新潟で伝道を行う一方、沢山に協力して梅花女学校の創設に関わり、新潟女学校を設立して女子教育に尽力。

しかし、それに飽き足らず、1890(明治23)年に渡米し、日本の女子高等教育の実現という「大事業のための大準備」の土台をアメリカ留学で築いた。帰国後、1896(明治29)年に出版した『女子教育』には「女子を人として、婦人(女性)として、国民として教育する」という日本女子大学の建学の精神がはっきりと示されている。

ここで大切なことは、第一に女子を「人として」教育することで、順序を間違ってはならないと述べている。

つまり女子を、女性であることや国民である以前に人として捉えたわけで、男女差を超えた基本的権利を尊重するヒューマニズム教育を目指すとともに、知識や技能の修得に先立って、個としての人格形成を重視した。

この成瀬の『女子教育』に共鳴し、さまざまに支援したひとりが、豪商三井家に生まれ、後に大同生命を創業する広岡浅子であった。成瀬は広岡の支援を得つつ、伊藤博文、大隈重信、渋沢栄一ら政財界の有力者からの協力を得ることに成功し、三井家からは目白キャンパスの土地の寄贈を受け、日本で最初の女子高等教育機関である日本女子大学校を設立した。

成瀬は教育構想として「総合大学」「一貫教育」「生涯教育」を掲げた。この夢は生前にも相当の実現を見たが、没後も後継者たちによって着実に引き継がれ、現在の発展に至っている。

成瀬は最晩年に、自己の生きてきた軌跡を集約し後進に示す言葉として「信念徹底」「自発創生」「共同奉仕」の三綱領を残した。これら三つの教育理念はヒューマニズムの思想に基づく人間教育であり、建学の精神の根幹をなしている。

幼稚園から大学院までの一貫教育と生涯教育

現在、日本女子大学には文京区の目白キャンパス(家政学部、文学部、理学部)と川崎市多摩区の西生田キャンパス(人間社会学部)があり、各学部の上に、大学院博士課程が設置されて先端的研究活動を進めている。これが「総合大学」構想の現在の姿だ。

附属豊明幼稚園と附属豊明小学校、そして附属中学校・附属高等学校・大学・大学院を擁して「一貫教育」を実現。さらに家政学部には、半世紀以上の歴史を持つ通信教育課程が置かれて「生涯教育」の中心となってきた。

2007(平成19)年4月には、通信教育課程にも大学院(家政学研究科)が設置された。創立100周年を記念して建設された百年館には生涯学習センターが設置され、公開講座を提供している。

2011(平成23)年度から「リカレント教育課程」が、子育てや介護などで一度仕事を離れた既卒者の再教育や再就職プログラムを実施。この取り組みが評価され、内閣府男女共同参画局「平成29年度女性のチャレンジ支援賞」を受賞した。

「総合大学」「一貫教育」「生涯教育」という創立者の構想はこうして、着実に実現されてきたと言えるだろう。

日本女子大学 時代とともに進化する女子教育のパイオニア

学長 大場昌子

一般社団法人としての同窓会組織とその役割

一回生が卒業する前年の1903(明治36)年に「卒業後も生涯にわたって自発的な活動と、生涯学習を続ける場」として、桜楓会(現 一般社団法人日本女子大学教育文化振興桜楓会)と名づけられた同窓会組織ができた。

海外まで広がる約150の支部と本部が緊密な連携をとりながら、国内外で活発な社会的活動を展開し、大学の発展を支援している。学園と桜楓会は車の両輪のごとく、常に学生と卒業生の緊密な連携を図り、卒業後の社会活動や就職を支援している。

同窓会が単に相互の懇親の場にとどまっていてはならないとする創立者の思いが、連綿と続いてきた活動の原動力となっている。

建学の精神を「国際人として」の教育に

成瀬が女子教育の次に生涯の目標として掲げたものに「国際的連携・平和の確立」がある。この思想は教え子たちによって受け継がれた。

ノーベル文学賞を受賞したインドの詩人・タゴールに私淑した高良とみ、1920年代初頭に婦人国際平和自由連盟との連携を実現した第六代学長・上代タノ、共に「世界平和アピール7人委員会」に加わった平塚らいてう。その運動と精神は現在もなお日本女子大学に継承されている。

大学に「国際化」が求められる今、創立者の世界観が、強力な原動力となっている。創立間もない頃から卒業生を海外に送り出し、彼女らは各分野における女性パイオニアとして、研究・教育・行政に道を開いた。その流れは現在にも及び、海外の名門の協定校に毎年学生が留学している。

留学期間は修業年限に算入され、休学することなく留学できる。30単位を上限に卒業単位として認定されるのをはじめ、留学学生の経済的負担を軽減するための独自の奨学金制度を設けて留学を奨励している。

日本女子大学 時代とともに進化する女子教育のパイオニア

目白キャンパスの成瀬記念館分館
(旧成瀬仁蔵住宅。2007年に文京区指定有形文化財に指定)

多様なキャリア形成の開発― 高い就職率と卒業生の活躍

日本女子大学は毎年、高い就職率を誇り「就職に強い日本女子大学」という評価を得ている。「キャリア」を「生き方」として捉え、女性の多様なキャリアパスについて学ぶ「キャリア形成科目」など、社会への貢献や、豊かな人生を送る自分独自のキャリアデザインの構築を修得する。

学生はまず問題解決力・コミュニケーション力・プレゼンテーション力など人間力の向上を自覚し、さらに女性の感性や特性を充分に発揮することを学ぶ。それらを通してバランスの取れた男女共同参画時代を担う意識を高めていくことも、女子大学ならではの教育環境だ。

建築界のノーベル賞とも言われる米プリツカー賞を受賞した住居学科出身の妹島和世氏、株式会社ワーク・ライフバランス代表取締役社長の小室淑恵氏、スリール株式会社代表取締役社長の堀江敦子氏、作家の平岩弓枝氏、脚本家の大石静氏、漫画家の高橋留美子氏なども、ここで育った。

このように日本女子大学は創立以来、学問・社会・国際舞台・地域・企業などで活躍する多くのリーダーを輩出してきた。その歴史と現在活躍する卒業生たちの軌跡、学生一人ひとりの高い志を表現し、2014年に“Bloom as a leader.”(自己の可能性を開花させて、それぞれのステージでリーダーになる)というメッセージを発信している。

創立120周年に向けて新しい学修の場に発展

女性が主体性と自立性を確立する場として、日本女子大学は優れた教育環境を有している。学園が一貫して培ってきた、自己の可能性を追求して困難に挑戦する気風、21 世紀の社会を支える十分な知識と行動力、そして豊かな人間性を育てる教育こそが、高い就職率や女性社長輩出数の多さにつながる要因にもなっている。

日本女子大学が創立120周年を迎える2021年4月、西生田キャンパスにある人間社会学部が創立の地・目白キャンパスに移転する。前述の卒業生 妹島和世氏によるグランドデザインのもと、新しくなる目白キャンパスに4学部15学科と大学院のすべてが集結し、新たな体制で人間生活・人文・社会・自然科学の四つの総合力を生かした教育・研究をスタートする。

今年4月には、ラーニング・コモンズを備えた知の拠点として新しい図書館が開館した。明るい空間の中に、成瀬の教育方針である「自学自動」すなわち自ら学び、自ら行動する学習姿勢を促すための環境を整えている。

今年度の春から教室・研究棟の工事が始まり新学生棟も着工、ひとつずつ目に見える形で目白キャンパスの新しい姿が現れつつある。創立120周年、そしてさらなる未来に向けて日本女子大学は改革の手綱を緩めず、変化の激しい社会をリードする本物の実力と自信を養う教育を、強力に推進する。