写真=インドでの現地訪問。家電などは拾ったものを修理して使用。緑色の服を着た女性は看護師を目指して勉強中。右側の二人は現地学校の先生。
昔の中学校や高等学校の海外研修といえば、渡航先はアメリカやオセアニアなどの英語圏が中心で、目的も英語中心の語学研修主体の場合が多かったのだが、昨今は行き先も体験プログラムも大きく多様化している。学校が生徒に様々な体験を与えることが教育として有効と気づいてのことだろう。
2024年に多摩大学目黒中学校高等学校が実施した海外研修では「インドの貧困・社会課題に向きあう」という、およそ観光的な要素がみられない、今までにないちょっと変わったプログラムが実施された。日本で生活していたままでは決して理解できないインドの貧困の実情を正に肌で感じ、信仰心や身分社会などインド特有の混沌とした社会の中に身を置くことで、現状に対して自分は何を思い、何を感じ取り、自分にできることは何かを考えることが目的である。
このプログラムを立ち上げた理由について立案・引率した井上忍武先生はこう語る。
「そもそものきっかけは前年の韓国5日間のツアーです。非英語圏では多少英会話ができたとしても相手と深い意思疎通はできません。ところが子供たちは英語や日本語が通じなくても、色々努力して相手と意思疎通できるようになりました。語学力より『相手と通じあいたい』という強い意志と行動力が大切なのです。ツアーを体験した生徒は大きな自信を持ち、その後の活動を見ていると自信は学校行事など様々な行動に積極性をもたらしていることに気づきました。そうであれば非英語圏の中でも、大きく文化や環境も日本と大きくかけ離れた地での体験の方が、本人はさらに大きな自信を身につけることになるはずと考え、今年はインドとインドネシアのプログラムを加えました」
現地では体系的に学ぶ探究学習を取り入れ、滞在の前半は現地体験と観察や調査時間に費やし、後半はそこからの改善方法や自分にできることの考察時間とした。学ぶ主題はインドが「貧困と格差」、インドネシアが「ごみ問題とフェアトレード」である。今回は特にインドについて詳しく話を聞いた。
写真=街中を移動。ゴミ・動物のフン・下水などの臭いと大量の蠅に包まれて相当な圧迫感。
「インドでは全10日間のうち前半5日は貧困層の人々が暮らす地域に足を運びます。日本の極めて清潔な生活様式とは対極にある環境で、足を一歩踏み入れ、物に直接手を触れることから生徒は大きな違和感を受け、五感で感じる絶望的な貧困と不衛生を正に肌で感じるわけです。対極にある富裕層の学校も見学しました。また訪れた貧困者の居住地は背景に高層建築が立ち並んでいました。つまり歴然とした貧富の差も肌で感じるのです。ともすれば拒否感や負の感情ばかりが膨らむ環境ですが、訪問した生徒たちはそこで元気に生活している子どもたちと接すると大きな影響を受け、『この子たちのために自分は何ができるのか、何とかしなければいけない』と真剣に悩み考えはじめました」
写真=現地の人に取材。洗った空のペットボトルが欲しいかを訪ねている。「清潔なものはとても大事」と半数の人が欲しがっていた。写真の女性は「それはいらない。食べ物をくれ」と言い続けていた。
井上先生によれば生徒がそのように感じただけでも、インドに連れてきた価値は十分だとのことだ。
「研修の後半は今回のプログラムに協力していただいた方々や現地スタッフとともに、改めて現状の課題とその社会的背景を考え直し、必要があれば再度現地を訪問して調査を続け、そこから問題解決の方法を模索する活動をします。見聞してきたことを体系的にまとめあげ、自分の意見と他人の意見をあわせて考え抜き、新たな解決方法を導くという、スケールの大きな探究活動が実践されました」
社会問題を体験と知識として学ぶことはもちろんだが、その他に生徒は何を学ぶことができたのだろうか。先に生徒は大きな自信を得ることができると紹介した。井上先生が改めて紹介する。
「あの過酷な地で、絶望的な環境下で、生徒たちは自分から動き自分から取材して新しい情報を得たいと行動しました。だからこそ、十分な環境が揃っているこの日本でなら動けないはずはないというのが自信の源です。帰国後の生徒は色々なことに積極的に意見を出し、自発的に動く姿が見られるようになりました。自分で動けば動くなりの成果物があることがわかったのです」
写真=再度現地訪問して調査。生徒自身がオートリキシャを手配して乗って行く。
一方でこの体験を通して、生徒一人ひとりが人間としてたくましくなる様子も見られたそうだ。
「元気に暮らしていることに感銘を受けた現地の子どもですが、その子どもたちが物乞いや押し売りのような物売りもするわけです。思うところは多々あっても、一人に応対したら大勢の人が群がってくるので、強く断ることが必要です。そうしないと何も行動できなくなるのです。単純に気の毒では何も解決しません。買い物をしてもおつりをごまかされることは普通のことですから、『おつりが違うじゃないか』と強く主張することも必要です。宿泊先のホテルで例えばトイレが壊れた場合、一度フロントに電話しただけでは修理されません。何度も電話して相手を動かさなければなりません。何をするにも強い自己主張が必要で、放っておいたら何も解決しないということを現地生活で知らされるわけです。日本では相手への優しさが重んじられますが、『やるべきことはやる、言うべきことは言う、突っぱねることは突っぱねる』ことが必要ということをこの研修で痛感しています。来た当初は街に出るとすぐ群がってきた子どもにおびえていた生徒が、最後はその子たちを払いのけることが当たり前になるほどの変わりようです」
生徒が現状の環境に満足せず、自分自身を成長させたいと感じていることにも気付いたそうだ。
「この研修に参加した生徒の中には、『日本で暮らしている今のままでは何も変わらない。自分が変わるための機会としてこの研修に参加しよう』そう思う生徒がいました。生徒が変わること、成長することがあれば成功なのです」
「もう一つ思わぬ効果がありました。このような社会問題に対峙して現地や日本で活動しているスタッフの方々に感銘を受ける生徒がいたことです。自分が持つエネルギーを職業としてどのように発散していけばいいのか、どのようにして社会に役立つ人間として活躍していけばいいかを悩む生徒は多いはずです。スタッフの方々の行動は今まで生徒たちの周辺では見られなかった大人の行動として感動を与えました。世界で色々な日本人が色々な活躍していることを間近で見ることも重要な体験です」
肝心の探究活動という学びについてだが、井上先生は以下のように考えている。
「探究は本人の中から出てきたエネルギーを使って、本人が疑問に思ったことを調べ、考えることが大切なのだと思います」
体験する内容が大きいほど本人から出てくるエネルギーも大きく、疑問に思うことも多々発生するだろう。正に最大級のスケールとなる探究活動である。
また今回の探究活動はその内容から、無理やり参加する受動的なものではおそらく機能しないだろう。自らが進んで体験したいと思う生徒達だからこそ成功するプログラムである。この点について井上先生はこう話された。
「校風かもしれませんが、多摩大目黒は色々なことに対して積極的にチャレンジする生徒が多いですね。私達教員もチャレンジ精神を応援してきているからかもしれませんし、そのような機会を数多く設定しようと心がけています。勉強・スポーツだけでなく、何事にもチャレンジしてみたいという生徒にはぴったりの学校です」