【子育てエッセイ】「関わらない」という愛情

中学・高校情報 アートディレクター 浅井 大輔
【子育てエッセイ】「関わらない」という愛情

子供の夢を叶えてやりたいと思うのは、全世界の親共通な想いです。幸せに暮らしてほしいと願うのは自然なことです。

そのために、親として出来る限りのことはしてやりたいと想うはずです。だからこそ、横道に逸れないように、先に回り込んで回り込んで回り込んで回り込む。最短距離でゴールできるように、うまく先導したい。それが親心です。痛いほど同感です。

ただし、現実にもしっかりと向き合わなければいけません。子供は自分とは違うという現実を。子供たちには、それぞれの個性があり、それぞれの自我があるという、とても当たり前すぎる現実を。

今からお伝えするのは、そんな現実をなかなか受け止めきれず、悶絶を繰り返した私の話です。そして、辿り着いたのは、「関わらない」というスタイルの愛情でした。

私と中学一年生の息子とのコミュニケーションの歴史をざっくりと振り返ってみたいと思います。

彼の成長に最もコミットしていたのが保育園時代でした。園の行事にも積極的に参加し、なんなら祭りの係にも名乗り出て、朝は6年間送り届け、それは沢山触れ合ってきました。そのぶん喧嘩も沢山しましたが、だからこそ築き上げた絆は太くて熱いものになったのです。

思い返せば彼が生まれた日、彼の顔を見ながら、こう想いました。

「おまえの人生なんだから、自由に生きろ!」

その想いは成長していく過程でも変わることはありませんでした。

しかし、そうは言っても保育園児が自分で判断できることなど、たかが知れています。ついつい「それはダメ」「こっちにしなさい」と言っていたように思います。でも、仕方ないのです。親として危険は回避しなきゃいけない。安全第一なのですから。

やがて彼も成長し、小学生となりました。

このあたりから彼の成長にブーストがかかり始め、一気に「大人」の階段をのぼりはじめます。特に成長した点といえば、はっきりと「自我」が芽生えた点でした。「俺はこう思う」「俺はこうしたい」というふうに、はっきりと主張するようになったのです。

とはいえ、まだまだ小学生。こちらの意見に誘導しなければ危ないと思うシーンも多々あります。

とはいえせっかくの主張も尊重したい。なので、そんな主張があった際、当時の私は、彼にこう言って聞かせました。

「おまえの意見はわかるよ。でも、こうした方がいいと俺は思うよ」と。

このやり方は、かなり彼の主張を尊重できていると思っていましたが、今振り返れば、尊重しているように見せかけた誘導にすぎなかったと思います。

親子の関係にケーススタディは無いと思っています。どんな親とどんな子供なのか、その組み合わせによって、やり方は全く変わります。なので、これはあくまでも「私と息子の場合」という事になります。

「おまえの意見はわかるよ。でも、こうした方がいいと俺は思うよ」と言ったところで「パパはそうかもしれないけど、俺は違う」と、自分の主張を押し切る子供もいるはずです。その場合には、また違った方法があるのでしょうが、私と息子の関係性からいくと、この言い方では、息子は自分の想いを諦めてしまう可能性が高い子なのです。

そんな息子に、このやり方はどうだったのか。今でも少し反省しているところです。

そんな、絶賛自我芽生え中の息子と、尊重詐欺な私。この関係性を根本から見直さなければいけないと思った、きっかけとなる出来事がありました。

小学6年生の時。中学入学を前に「部活動見学」というものがありました。私たちの頃はなかった制度ですが、入学前にさまざまな部活を見学できる期間(2週間程度)です。

息子は「美術部」と「バスケ部」で迷っていました。

モノを創ったりする事は小さいころから大好きで、それ系のカルチャースクールにも7年ほど通っていましたし、バスケは習っているわけではないけど、見るのも、するのも好きでした。特にバスケが好きな理由は、私が経験者だったということも影響しています。というか、デザイナーという職業の父をもてば、アートへの興味がわくことも、同じように影響していたのかもしれません。

ここで話をややこしくしているポイントは、彼がどの部活に入りたいかではなく、私がどの部活に「入ってほしいと思っているか」という要素が含まれてしまった点なのです。

私はバスケ部で沢山のことを学びました。今、私を形成しているもののほとんどは、バスケ部時代に学んだことだと言っても大袈裟ではないのです。つまり、運動部(今回で言うところのバスケ部)での成功体験がある私は、心の奥底で「息子もバスケ部に入ってほしい」と願っていたわけです。

そうこうしていると、部活動見学の期間になりました。すると息子がこう言ってきたのです。

「俺、美術部にしようと思うわ。だからバスケ部は見学には行かないわ」

へ!?マジで!??と思った私はあわててこう返しました。

「いやいやいや、見学なんだからさ、バスケ部も見に行ってみろよ」

しかし、彼の意見はこうです。

「入らないって決めてるのに見に行くのは失礼じゃないの?」

なるほど、、、。そうかしれない。。なぜなら彼はもう美術部に決めているのだから。

しかし!見ないで決めるのはどうかと思う!というわけで、なんだかんだと説得を続け、結局は「わかったよ、見に行くだけいってみる」という結論をゲットしたのです。

しかし、なぜ、私は「美術部に決めた」と言われた時、「そうか!いいじゃん!楽しんで!」と言ってやれなかったのか。なぜ「バスケ部も見に行け」という悪あがきをしてしまったのか。

もちろん色々な意見があると思います。なにせ子育てに正解はないのです。私の行動が間違っていたと言い切る事は誰にもできないし、正解だとも言い切れない。ただ、彼が生まれた時に彼の顔を見てたてた誓い。

「おまえの人生なんだから、自由に生きろ!」

これとは結構矛盾した行動だよなぁと感じ、一人黄昏てしまったわけです。

「安心」「安全」「可能性」「経験」などなど。

親が子供へ意見する場合、色々な理由が見つけられます。しかし、子供は自分ではない。時にそんな理由の全てを跳ね除けてでも選択したい時が、子供にはあるのです。そんな子供の思いをわかるための方法。それは、以外と簡単なものです。自分はどうだったのか、と思い出してみればいいのです。

何かを決める時。親の決めたとおりに自分は生きているだろうか。

デザイン学校へ行きたいと言った時。親はどういうリアクションだったか。

自分はそのリアクションに対してどう行動したのか。そして、今、自分はどうなのか。

彼はまだ中学生です。でも、もう中学生とも言えます。彼は殻をやぶり、外へ外へと飛び立っていきたいと羽をバタつかせています。もちろん、ダメなものはダメという横槍は絶対に必要です。ただ、もう彼の人生はしっかりと始まってしまっているのです。

子供には幸せになってほしい。では幸せとはどんな状態なのか。もちろん、幸せのカタチは無限ですが、私が思う幸せな人とは、誰かではなく自分の人生を生きている人です。誰かと常に比べるのではなく、自分の中の物差しで価値をはかれる人です。

私の周りにもそんな人はいます。そしてみんな笑顔です。

そんな人になってもらいたいのならば、彼がそういう時期になったのならば、親がすべき事は、なるべく関わらないという事ではないか。自分で選ぶという経験を今からさせるべきではないか。

関わらないとは、別名、「見守る」とも言うでしょう。

これまで、本当に関わりまくってきた私だけに、これは「関わらない」と意識していないと、「ついつい」が起こってしまうのです。

なので、これからはなるべく「関わらない」。その事が彼への新しい愛情のアプローチの仕方だと思い、決心したのでした。

ところがこれが簡単ではないのです。心配だし危なっかしい。今でも例の「ついつい」がついつい出でしまいます。

でもそれだって悪く無い。親だって完璧ではないのです。逆にとても大事な事だったら家族全員で決めればいいのです。ただし「なるべく」という事は常に心にとめています。

なんでその服?と思っても彼が選んだのなら、それでいい。彼は私ではないのだから。

さて、例の部活問題ですが、彼は結局、美術部とバスケ部の両方を見学しました。

ただ、のちに私も知らなかった新事実が発覚しました。彼は美術部とバスケ部以外も見学していたのです。

現在、彼は放課後、道場で竹刀をふる、そんな中学生活を送っています。

さぁ自分の人生、楽しんで!

【筆者プロフィール】
浅井大輔
1978年生まれ。アートディレクター。1児の父。
6〜12歳の間にわたる息子とのコミュニケーションを綴った「親子漫才」を公開中。
https://note.com/spoking/m/mfa6e3b3a855b